大唐西域記①
日露ブログへようこそ! 幹事のニチャード・リクソンです
Twitterではお世話になっている方も多いと思われます
このブログで数回ほど、私の中央アジア旅行記を執筆させていただくことになりました!どうかあたたかい目で見守ってください.
日に新た
日に日に新た
日に新た
私の座右の銘です。 年明け、私は早くも夏休みの計画を練っていました。2022年の夏は、この座右の銘に相応しい夏にしようと息巻いていたのです。ロシア語学徒たる者、短期留学かロシア旅行でもしたいなぁ。そう考えながらTwitterをいじる日々でした。しかし2/24を境に、その難易度は一気に跳ね上がります。
初夏、数年ぶりの現地渡航を盛り込んだ大学の短期留学が発表されました。案の定どのコースにもロシアの文字はなく、個人旅行も現実的ではありません。
私は戦争という現実を飲み込めず、深い悲しみに包まれました。 ベトナムでも行こうかと思いながら世界地図を広げ、ロシアの方を見た時…たくさんの「スタン」の文字が目に入ってきました。
「そうだ、中央アジア行こう。」
中央アジアは帝政時代からソ連崩壊まで長らくロシアの支配を受けており、現在でもロシア語話者は多く、ロシア語は準公用語的扱いを受けています。ここならロシア語を使ってサバイバルできる。
そう思った私は早速地球の歩き方を買い、大まかなルート(青線)を決めました。 まず8/19に成田からソウル経由でカザフスタン最大の都市アルマトイⓛまで飛び、3日後キルギスの首都ビシュケクⓑへ。そこから東進して中央アジアの真珠と呼ばれる「イシク=クル湖」ⓒで体を休め、ビシュケクへ戻ったのち、再びカザフスタンへ入り砂漠をひたすら西へ進みます。カザフスタン第2の都市シムケントⓓを通り、今度はウズベキスタンの首都タシケントⓔへ。その後は世界遺産でもある青の都サマルカンドⓕに足を運び、今度はそこからほど近い国境を超えてタジキスタンの首都ドゥシャンベに移動。険しい山道を北上し、同国第2の都市ホジェンドⓗを抜けて再びタシケントへ。最後にアルマトイ行きの国際寝台列車に乗り、9/24に帰国。
以上が今回のルートです。
・期間35日
・総移動距離3,500km以上
・国境越え計6回
・成田~アルマトイ間以外は全て陸路
という、玄奘三蔵もビックリの中央アジア・シルクロード大周遊コースと なりました。
もちろん1人です。
なお今回、中央アジア5ヶ国のうち、陸路国境完全閉鎖中のトルクメニスタンのみ訪問できませんでした。空路入国だとしても中央アジアで唯一コロナ関連の証明書(ワクチン、PCR)を要求されます。そしてなんと言ってもビザ。トルクメニスタンへの渡航にはビザが必要で、そのビザの取得に入国管理局からの招待状が必要で、その招待状の取得には入国管理局や現地受け入れ先への書類申請が必要で、さらに国内で付随するガイドの手配と旅行日程表の審査が必要で………………………………………………………… しかしいつか行ってみたい国です。。。
さて。
大まかなルートを決めた私は、7月の初めに貯金の数十%にあたる価格の航空券を買いました。もう後戻りはできません。
出発までの1ヶ月半を使い、私はさらに詳細な旅程を
練りませんでした。
時が過ぎるのは早かったです。ガチで。
アバウトにも程がある計画しか練ってないせいで、成田空港に着いた時は憂鬱でした。ここまで盛り上がらない旅行は人生初でした。
一体私はこれからどうなってしまうのでしょうか? 気になるその後は〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
字数が膨大になってしまったので、、、、、、
〜つづく〜