歴史

 1989年「日ソ学生交流会」としてこの団体は設立されました。設立当初は、モスクワへの訪問、現地学生との対話の実現を目指して活動していました。受け入れ先や資金が少なく、彼らは苦労の中活動していました。1994年には自費でモスクワから1名の学生の招致をし、第一回訪日企画を敢行しました。

 1995年、ノヴォシビルスク国立大学東洋学部との定期的な交流が始まったことが、「日露学生交流会」の転機となりました。それは、当時の当サークルの顧問とノヴォシビルスクで日本語を教えていた教師の協力によるものでした。ノヴォシビルスク大学に「東洋クラブ」という姉妹サークルが設立され、第一回ノヴォシビルスク訪問が観光されたのです。

 2001年には、モスクワ郊外の街「リャザン」との交流が開始されました。そして、2011年に「日露学生交流会関西本部」が設立され、翌年から東京と関西の両団体で同時に訪日、訪露企画が実施されました。現在、関西本部は独立し「セーミチキ」と名前を改めましたが、この試みはまだ続いています。

 2013年には、外部の方を招いて「日露学生シンポジウム」を開催しました。また、2014年からは、大学の文化祭に参加するなど活動の幅を広げていきました。2018年の冬、過去に行われたシンポジウムを「ミチター」と名前を変え再び開催しました。

 現在、「日本ロシア学生交流会」は訪日企画、訪露企画を中心に活動しています。リャザンとノボシビルスクの両都市の学生との交流を通して、ロシアと日本の仲を深めようと日々活動しています。また、「第二回ミチター」の開催や、タタールスタン共和国の首都「カザン」への訪問など新たな試みも実行しています。

(2018/7/3更新)